コラム---2010年5月20日


橋本正洋 / Masahiro Hashimoto,   特許庁 審査業務部長

イノベーション政策の課題

「1998年のお話し」

日本でも、イノベーションという言葉は普通名詞化し、いまさらシュンペーター教授を持ち出して解説する必要はなくなりましたが、これはここ数年のことです。イノベーションという概念が政府文書に示されたのは1956年の経済白書が最初といわれています。(この白書は、「もはや戦後ではない」で有名です。)その後、いろいろな政策議論でイノベーションという言葉が使われたのだろうと思いますが、筆者の知る限り政策の検討の場としての「イノベーション研究会」として一番古いのは1998年6月に中間報告が出された経済産業省産業技術課主催のイノベーション研究会ではないかと思います。この研究会については、詳しくはこちらをご覧いただければと思いますが、当時「イノベーション」という概念は解説なしでは使うことが出来ませんでした。しかし、世界的には、90年代にイノベーションを巡る研究は格段に増えて、図1に示すように、「知の爆発」状況になっています。

この報告書は、まさにそうした過程でできてきたものですが、そこで示された政策課題は、かなりの部分が着手されました。しかし、報告書から12年を経ても、まだまだ道半ば(主催者の本部和彦初代産業技術課長の言)です。


図1イノベーション学術論文推移(英文誌のみ)

「イノベーションのスピード」

特に、急激に進んでいる社会の情報化、サービス化に対し、政策対応が後手に回っていることが問題です。図2は、イノベーションの三層構造を貫くべき、イノベーション及びイノベーション政策のスピード感を示したものです。最近のバイオやITという21世紀を支えていく技術、さらには新エネルギーや環境技術を支える新材料などの技術開発においては、イノベーションのスピードは格段に速くなっています。この原因はいくつか挙げることができますが、一つは知の爆発で、そしてこれをもたらした最大の要素は、IT・デジタル技術の驚異的進展です。バイオの世界でも、たとえばDNA解析及び応用技術の格段の進歩の根源の一つには、情報処理技術の裏付けがあります。タンパク質の立体構造解析は創薬開発に欠かせない技術ですが、これも最新のIT技術がサポートしています。こうした、知の爆発とスピード化に対して、従来の政策現場でとられている手法では対応が難しくなってきたと考えています。具体的にはどういうことでしょう。


図2 日本のあるべきナショナル・イノベーション戦略

「政策立案過程の課題」

政府が政策を議論するときは、研究会や審議会の形式で、外部の有識者の意見を聞き、調整します。このとき注意しなければいけないことは、高名な学識経験者及び大物の企業経営者(またはそのOB)からなるこれまでの典型的な政策審議体制は、利害調整には機能するかもしれませんが、対象が最先端の分野、複雑な分野を扱うときは、直近の研究成果・技術・知財動向の知識、特に若い研究者の知見が重要で、これらのメンバーでは足りません。イノベーション政策はその最たる例と言えるでしょう。最先端の知見に疎い学者や経営者の意見はマイナスに働くおそれがあります。一方で最前線の若手研究者や敏腕経営者が、政府の政策議論に貴重な時間を割いて出席することは相当難しいことでしょう。会議体の運営にも改革が必要です。その点、経済産業省が試行しているIT政策にかかる「ネット審議会」は良い試みだったと思いますが、もっと早く導入すべきでしょう。

また、事務局を勤める政策担当者も日々最先端の知識や政策ツールを仕入れ、最前線の方々と議論をしていく必要があります。霞ヶ関の机にへばりついているだけではそれは叶いません。外へ出て、自らネットワークを拡げていく必要があります。筆者はアナログ人間ですので、もっぱらアナログ・ネットワーキングとしてせっせと「研究会」と称した夜の会合をセットしていますが、デジタル人間にはそれに相応しいネットワーキングテクニックがあるのでしょうね。

「イノベーション政策の今後」

重要なことは、実際の政策立案に最先端の科学的分析評価を反映させ、これをツールとして最前線の知識を踏まえた判断を行うことができるかどうか、です。これには、政策立案者、政策決定者が、虚心坦懐にこうした分析を受け止め、評価し、反映させようという強い意志が必要です。そしてそれは、これらの人たちの意識の底流に共通させることが重要です。

東京大学イノベーション政策研究センターでは、イノベーション政策研究会を主催し、累次のセミナーを開催しています。これらセミナーの目的は、上記の問題意識と重なっています。官僚達よ、東大に集ってお互いを切磋琢磨しようではありませんか。

(この稿は、「大学発ベンチャー企業支援サイト」への筆者の掲載文を元に編集したものです。詳細は、こちらをご参照ください。)



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