コラム---2010年5月31日


柴田尚樹 / Naoki Shibata

イノベーション政策立案に不可欠な二つの視点

最近、民主党政権による「事業仕分け」が話題になった。税金を投じて行われる研究活動をより効率化しようという意図には何の異論もないが、メディアを通じて伝わって来る議論の様子を見ると、日本の将来を担うイノベーション政策に関しては疑問を投げかけたくならざるを得ない。著者は、東京大学のイノベーション政策研究センターにて、技術経営戦略、イノベーション政策立案に役立つ方法論の開発に携わっているが、そうした立場から、イノベーション政策立案に不可欠な二つの視点を提案したい。

その前に、まず、なぜ日本にとってイノベーション政策が重要なのか、という点を明らかにしたい。役所が発表する科学技術政策関係資料をご覧になったことがある方には改めて申し上げることではないが、これらの資料の多くは「資源に乏しい我が国にとって」といった記述が冒頭にある場合が多い。日本で育った方であれば小学校の社会科の授業で習うことであるが、日本は外貨を稼げない限り、食料もエネルギーも調達できなくなってしまう国であり、だからこそ外貨を稼ぐ先進的な科学技術の開発が必要であるというのが共通認識である。(従って、今日のようにグローバル化した国際競争下の中で「二番で良い」はずがないのである。)
しかし、日本の現行のイノベーション政策が成功しているとは言い難い。(90年代あるいはそれ以前までは成功していたと思うが。)一例を上げると、イノベーション政策を研究する国際会議に参加すると、日本人は非常にマイノリティである。頭数だけで判断するわけではないが、こうした国際会議に参加する日本人としては我々のグループが日本人としては最大マジョリティであることが多い。世界で最もイノベーション政策研究に熱心なのはアメリカであるが、近年、アジアでは、シンガポール、台湾、香港などは、同分野の研究者を育成しようとする、明らかな国家の意図を感じる。

では、イノベーション政策立案に不可欠な二つの視点を提案したい。一つ目は、イノベーション政策担当者と実際にイノベーションの源泉を作り出す研究者が目指すべきことは全く異なるということである。科学研究というのは、本質的にある分野において、過去の成果よりも少しでも良いパフォーマンスを上げるという点に尽きる。例えば、太陽電池であれば、少しでもエネルギー効率を上げることであり、情報検索であれば、少しでもprecision, recallの高いアルゴリズムを発明することにある。言ってみれば、verticalに少しでも掘り下げ、良いパフォーマンスを出すことこそが、イノベーションの源泉を作り出すということである。

他方、イノベーション政策において解くべき課題は全く異なったものだ。研究者がものごとをverticalに掘り下げるのに対し、イノベーション政策担当者はそれらをhorizontalに組み合わせる能力が必要となる。太陽電池の例を取れば、エネルギー効率を上げる物質候補は複数存在する。実際にどの物質が最も高いパフォーマンスを上げるようになるかは、専門家でなければ分からない。誤解を恐れずに言えば、専門家であっても分からない場合が多い。そうした環境下でイノベーション政策担当者が解くべき課題というのは、将来の不確実性を最大化することにある。定式化すれば、

max 将来の不確実性 s.t. 与えられたリソース

とも書ける。「不確実性」という概念は分かりにくいかもしれない。イノベーションにおいて、連続的な進化は予測がしやすいが、期待できるパフォーマンスの向上は線形である場合が多い。他方、非連続な進化は予測不可能で出現確率も非常に小さいが、指数関数的にパフォーマンスを向上させる場合がある。これを破壊的イノベーション(disruptive innovation)と呼ぶ人もいる。イノベーション政策担当者は、あらゆるケースを想定して、将来の不確実性を最大化する投資を選択する必要がある。

では、あらゆるケースを想定するために何が必要か、という点が二つ目の提案である。前述のように、科学活動というのは少しでもパフォーマンスを上げることが目的であるため、本質的に細分化する傾向にある。この傾向のせいで、「あらゆるケースを想定する」ことがより一層困難になる。これまでは各分野の専門家を集めて、ロードマップを開発するというエキスパートの知見に頼った方法がよく用いられてきたが、今日のように情報量が爆発した時代ではその手法にも限界がある。我々は、こうした人間が処理出来る情報量の限界を突破するために、学術俯瞰、特許俯瞰という客観的なツールを開発している。これらのツールを用い、イノベーション政策担当者が各分野のイノベーションの源泉の候補を正確に理解し、それらの理解に基づいてより競争力のあるイノベーション政策が立案されることを期待したい。



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